続、なりたかった職業

幼い頃は先述の日記の通り医者でしたか年をとる度変わるものでコロコロ変わっています。

中学生ぐらいになると大成建設のCMのキャッチフレーズ「地図に残る仕事」という言葉にインスパイアされたのと当時NHKプロジェクトXという番組で黒部ダムを造った人達の特集を見て土木技術者になりたいと思い、高校は地元工業高校の土木科に入りました。
しかし、高校で部活にのめり込んでしまい寝ても覚めても部活、勉強第二みたいな感じでした。
ただ部活の成績が良くなるに比例して学業も伸びて卒業時は次席でした。
土木技術者目指して入った高校でしたが当時は公共事業不況真っ只中、建設会社の求人は殆どありませんでした。
次になりたかった職業は海上自衛官
母方祖父が陸上自衛官だった為にとても喜んでくれて自衛隊入隊試験の参考書を山ほど買ってきてくれました。
部活に精を出していた結果、国体県代表選手になってしまい国体本大会の日程と自衛隊の試験が見事に被り、さすがに防大受けるまでの頭はありませんでしたが幹部候補生の試験は受ける事ができて見事に玉砕。
進路を自衛隊一本に絞っていた為に宙ぶらりんの状態になってしまい、さてどうしよう、インターハイで三校の大学がスポーツ推薦の試験受けに来ないかと声をかけてきてくれていました。
法政大学、立命館大学仙台大学
急遽、法政大学のスポーツ推薦の試験を受けに東京に行くことになりました。
東京に飛行機に乗る前に母が家にあったありったけのお金を持たせてくれたのをよく覚えています。
親父が法政受けるなら法学部しか許さんと言っていたので法学部を受けました。
スポーツ実技は三番の成績でしたが学力試験が英語で問題から英語で全て書いてあり、全くわからない。ほぼ白紙で出しました。
面談試験で面接官の教授陣に君は四年で卒業できないねと言われこちらもあえなく玉砕。また宙ぶらりん。
地元の大学に何とか入れた次第です。